全楽連
演劇部用ラジオドラマ・テスト脚本
ストラトファイター
第一話



適当に窓の左右の幅を読みやすく調節してお読みください。
この行が改行されないギリギリの幅が推奨の幅と思って戴いて結構です。



Aパート




《SE・カラオケボックス》


少 女 「新宿の夜って、眠らない歌舞伎町の喧騒とか、うちに帰れない大勢の酔っ払いとか、動き出すホームレスの人たちとかを連想するのが普通。でも、それも深夜に及ぶと案外静かになる街だったりする。
もちろん歌舞伎町とかは朝方まで客も客引きも大忙しだけど、新宿の西口界隈なんてのはほんとに静かになる。
二十四時間ひっきりなしにうるさいのは、たぶん私が今いる、この手の店だけだ。

カラオケ。

今日も仕事を終えて、私はここに来てる。
別にストレス発散のためじゃない。
ここで歌うのが私のもうひとつの仕事。
ひとに聞かせるわけじゃない。この個室で、ただ歌ってればいいって言われてる。
ワケわかんないけど、昼間のバイトより給料がいい。
まぁ歌うのは好きだし、ここのお金は『会社』が払ってくれてるし、疲れたら寝てもいいって事になってる。そんな自由をくれてるから、2日にいっぺんの割で、流行りの歌を好きなだけ歌ってる。
カラオケ屋のご飯はつまみばっかで喉が渇く。そういう時はお酒……はあまり飲まないんだ。ほんとは好きなんだけど、歌ってるときはあまり飲まないことにしてる。こういうとこ、大勢で来てればお酒も美味しいんだろうけど、独りで歌ってるときは……お酒は一杯って決めてるの。それ以上飲んでも気分が落ちるだけだし。

独りは寂しい。
独りはつまらない。
お母さん、どうしてるかな。
お父さんは……
お兄ちゃん、彼女とうまく行ってんのかな?

ほら落ちる。だからお酒はあまり好きじゃない。
歌も楽しいのや騒がしいのや、昔、お兄ちゃんが聴いていた英語のハードロックとかに決めてる。
お気に入りは『モー娘。』とか『AKB』とか。なに歌っても元気になれるから。難しいこと考えないで済むし。あとアニソンは外せない。これもお兄ちゃんの影響大。昔のがイイ。マイク振り回してガンガンに歌いまわせば、そのノリはハードロックにもひけをとらないし。

今日の終電は……一時間前に終わってるか。
どうせ明日は土曜。お休みだし予定はないし。
そうだ、たまには演歌とか歌ってみよっか。独りで歌うのは寂しいように見えるけれど、逆に何でも歌える利点もある。
覚えたてで歌詞を間違えようが、べたべたの演歌を調子を外して歌おうが、誰もいないから恥ずかしくない。
ときどきトイレに出歩く男の子たちやおじさんたちが、ドア越しに覗いていく。
でも別に構わない。
外野に対して恥をかいてるなんて意識、私はないし。


《SE・携帯の着信音》


あ……

『会社』からだ……」


《SE消えて……》






《SE・静かな空調の音》


男   「何やってんだろうなぁ、俺は……

西新宿。
高層ビルの屋上に近いフロアは、空調が利いて暖かだ。
しかし俺の気分は冷えてる。どうしようもなく、冷えてる……

このビルは何年か前、建設工事のときに何度か日雇いで入ったことがあった。
バブルだの建設ブームだの、世間の景気は絶好調だった。
建築知識の無い自分たちでも、純粋に労働力として重宝され、あっちこっちのビルを渡っては鉄筋と鉄骨をひたすら組み上げる毎日だった。
あの数年の稼ぎは上々で、仕送りもそれなりにしてやれた。妻や高校に受かった娘に、ブランドもののバッグやサイフを送ってやれた。田舎といっても着るもの持つものはそれなりに洗練されていないと、付き合いは続けられないとか言ってたっけ。
たまに電話を入れると、アレが欲しいコレが欲しいとせがまれたが、たいていのものは送ってやれた。
ところが、建物というのは全体にコンクリが流し込まれてしまうと、力仕事しかできない自分たちにはもう出番は無い。内装は美観が要求されるのでプロの出番となる。にわか労働力の俺たちは外観を整えた建物から出て、まだ基礎固めしかされていない吹きっさらしの現場に移るしかなかった。そんなことを繰り返し、世間の余った土地に建設のにおいが感じられなくなってくると、自分たちの生活も路上生活風のものに変わってしまい、ここ数年は本当のホームレスになっちまってた。
家には帰れない。
仕送りもしないうえ、このなりで帰れば近所の好奇の目にさらされる。
嫁も息子も娘も、迷惑をかけるだけに落ちぶれた不甲斐ない自分を快く迎えるわけがない。

その証拠に……手紙は一通も来ない……自分を探す家族の話とかも、聞いた事が無い。

それでいい。
今の世間は生きていくだけでも大変だ。自分の事など死んだことにして、割り切った生活をしてくれていれば、それでいい。

俺は……

俺は、俺一人が食って生きていければ……それでいい……

それでいい。

3日前に警備の仕事が舞い込んだ。
一晩見張りに立てば五万円。それが一週間続くという。土日は無いものと思っていたら、きっちり七日間だという。休まなければたかだか一週間で三十五万円。こんなにうまい話はそうない。
もっとも……うまい話にはかならず裏がある……
プロの警備員を雇ったほうがはるかに安上がりなはずなのに、なぜかホームレスの俺たちを引っ張ってきたところからして、実はやばい仕事だろうという見当はついている。
だが、それ以上の詮索はしていない。どうせ今の自分はホームレス。やばい仕事で警察に世話になったとしても、刑務所なら暑さ寒さから逃れられるうえに三食付きだ。どっちに転んでも痛手はない。
そんな考えの男たちが都合二十数人。見たことのある顔もいれば知らない顔もいた。新宿周辺だけでホームレスの数は百人を超える。知らない顔がいても不思議はなかった。
ただ、ひとつ気付いたことがある。
全員、ホームレスとはいえ、体格のいい者ばかりだった。
自分もそうで、学生の頃は流行りのアメフトで肉弾戦を演じていた。あの時チアガールをしていた嫁はもう老けてしまっただろうが、自分はその頃の体を維持していた。
世間ではホームレスのことを弱者ばかりと思っているだろうが、実はそうでもない。たまにありつける仕事は必ずといっていいほど肉体労働だ。その仕事がこなせなければ喰っていけない。路上生活者のすべてが捨てられた残飯を食って生きているわけではない。そこそこ金は持っていたりする。パンだ弁当だと普通に買うこともしょっちゅうだし、毎晩ワンカップを買ってちびちびやっている者も多い。
自分は酒はやらなかった。
昔は飲んだが、それでも一杯だけだった。二杯以上になると気分が落ちてしまう。元気がなくなってしまうのだ。
絡むようなこともないので周りに迷惑をかけることはなかったが、とにかく自分の元気が栓を抜いた風呂の湯みたいに抜けていくのを感じてしまうのだ。
だから酒は、好きではない。


《SE・遠くに何かの破壊音》


何の音だ?
かなり下のフロアのようだ。
ロッカーか何か、金属製の大きな何かを倒したような……
たしか、一階に三名、数階置きに一名ずつ、にわか警備員は配置されているはず。さっきの音はたぶん、ここから四〜五階は下の方だ。


《SE・更に破壊音と男の短い悲鳴》


何だっ?!
喉を締め上げられるような、出すに出せないといった感じの、うめきに聞えた。
警察か……一階から順に突破してきたのだろうか。下の警備員たちはどうなったのか……自分は……俺はどうしたらいい?
屋上で何が行われているのかは知らされていない。
『彼ら』はきっと、法外な『何か』に関わっている。そのためにこんな男たちを警備に立たせているのだ。使い捨てにできるという判断で選ばれているのだろうが、ホームレスだって命は惜しい。痛い思いをするくらいなら警察のいう事をきいたほうがいいに決まっている。
今日はすべての非常階段に鍵がかかっている。逃げるなら高速エレベーターで……


《SE・階下から携帯電話の着信音……すぐ消えて》


携帯?!


《SE・男の足音。すぐ止めて》


階段ホールに出てみた。
汗で下着の貼り付いた背中を強引に丸め、下の階に向けて耳を立ててみる。
しかし何も聴こえない。
いや待て!!

なにか聴こえる……


《SE・かすかなハミングが続く……》


歌?
歌か?
聞いたことがあるような……

下の階から階段に漏れる蛍光灯の明かりはしっかり明るい。
そこで誰が何をして……


《SE・ハミング消えて》


歌が消えた!!
こちらの気配を察したのか?!

手すりに身を乗り出す。階下にも階上にも気配が無い。
もうまるでホラー映画だ。
こうして安心した直後、フロアに戻ろうとうしろを向くとゾンビみたいなのが立っているのだ。いや、そんな馬鹿な話があるか。幽霊ならいてもいい気はする。だがゾンビだの怪物だのは現実感がない。あんなのは怖がらせるための興行的産物でしかない。幽霊は……実は信じている。いてもいいと思う。いたところで、怖い思いをしたところで、痛い思いはせずに済むから……


《SE・ハミングとかすかな引きずり音……》


聞こえた!
歌だ!
下から歌の主が来る!
何かひきずってるような……………………ああっ!?


《SE・引きずり音を強調》


女だ。階段を女が歌いながら上ってくる……
髪が長い。
肩が……いや、腕も、脚もだ。体つき全体が細く華奢な女だ……
何を歌っている?
何を引きずって……


《SE更に強調・階段の段差を感じさせる引きずり音に》


血の海だ。
階段が血の海に……
引きずられているのは下の階を守っていたにわか警備員だ。いや、警備員たちだ!!
ベルト同士を強引にからめて大勢の男たちが血まみれの団子にされて引きずられている。
階段を引きずられてきた彼らの衣服は裂け、顔も腕も腹も背も、皮膚という皮膚が剥け、所々には衣服を内側から突き破った折れた骨まで見える。
俺は……
俺はどうしたらいい?!

女が……顔を上げた……

『!!』

俺は悲鳴を我慢して走った。
あたふたと、それでも全力で通路を駆け抜けた。
腰が抜けそうな感覚はあったが、抜ける前に逃げないと殺される。とにかく全力で走った。
エレベーターホールが見えた。
そうだ、エレベーターで……

ボタンを押そうとした手に何かが触れた。

『ひいっ?!』

俺は女の手から飛び退いた。
走ってきたのか?!
しかし息があがっていない。
どうして追いついた?
俺は全力で走った!
なのにこの女は……女は……

女がこちらを向いた。
顔を上げた。
長い髪が左右に分かれ、女の顔が見えた!!
やはりそうだ。さっき見た顔は気のせいではなかった。両目が無い。本当なら目玉が収まっている部分は暗黒の洞窟のようだった!その奥に真っ赤な光が小さく揺れている。
大きく傾げた首と顔はそれ以上動かず、かすかな声で歌いながら、女は手に握り締めていた小さな物体を耳に当てた。
携帯電話だった。
女は静かだった。何もしゃべってはいない……だが、電話の相手は何か話しているらしい……女が……うなずいた。
頭蓋骨の中心から覗いている赤い視線が俺を見た。
俺は、その視線が、自分の両目に突き刺さるのを感じた。
女の歌声が大きくなった。
まるで少女のような、細くてきれいな声だった。
その声とは裏腹に、女の振り乱した長い髪は竜巻のように舞い上がり、真っ赤な視線は俺の氷ついた目をにらんだまま逸れることはなかった。

なぜか俺は、冷静に事実を理解した。
目の前にいる女は……人間ではないと。
『人間ではない女』の口が……開き始めた。
どんどん開いていった。
普通の、十倍の大きさは開いたろうか。顔そのものが大きく裂けていた。この世のものではない女の悪鬼の形相が、鼻先まで近づいていた。
もう俺に、恐怖は無かった。
俺は……俺の命の終わりを悟った。悟るしかなかった。

その時、美しい歌声が、大きくフロア中に響き渡った。


《SE・女の歌声ハッキリと大きく》


そんな気がした。
実際聞こえたのは……俺の頭が潰れ、脳が飛び散る音だった」


《SE消えて……》







《SE・カラオケボックス》


少 女 「あ……

寝てた、私。

昼間、けっこう忙しかったから疲れてるみたい。時々こんなふうにして目が覚める。
歌ってる最中に寝ちゃうみたい。
それでも安心なのは、ここがカラオケボックスだからかな。
女独りとはいえ、ドアがガラス張りだとはいえ、他人はまず入ってこないもんね。
寝っ転がってようが死んでようが、新宿では珍しくないから。
都会の人は親切だ。
関わらないほうが身のためって思ってくれる。
興味半分で他人の空間に割り込んできたりしない。
だから私も、気楽にこの仕事を引き受けた。
しかし、これ、本当に仕事なのかな。
こうして目覚めると、つい考えてしまう。

あ……

なんだろ。
口から血が出てる。
トイレでうがいでもしてこよっと。あ、その前にっと……


《SE・インターホンのコール音》


あ、ノンアルコールで新しいのって何があります?
いちごのきもち?
甘いですか?
じゃそれひとつ」











CM










Bパート




《SE・渋谷交差点の雑踏》


青 年 「あの、何とも言葉にできない、誰も味わった事は無いだろう恐ろしい体験を、僕は誰にも話せてはいなかった。
言ったところで信じてはもらえない。
宗教という隠れ蓑を纏ったテロリスト集団が摘発されて既に十数年経つけど、あんな犯罪組織があった事実の後も、世の中は平和に酔い続けてる。
人知れず平和を乱すために進んだ科学技術の刃の切っ先が、地底深くからこの世に突き上げられようとしていることを、心のどこかでは敏感に察知しているにもかかわらず、人々はそれを公然と認めようとはしない。

もっとも……
僕もそうだった。

何があってもおかしくない世の中。なのに自分の身にそれは起こらないだろう。そんな曖昧で根拠の無い定義を日々抱きしめて生きている。それが今の、この国の人間たちだ。
だから・・・・・・
あの話は誰にも言えない。
言っても無駄だ。
警察も政治家も裁判所も病院も、自衛隊だって駄目だろう。

渋谷の街を、ギターケースを背負って歩いている今……
今、この時だけが、僕が安心していられる時だった。

大勢いる。
とてつもなく大勢の人々がいる。
人の海だ。
僕がここにいることを、僕でさえ見失いそうな人の海。
この中にいれば、僕はいつまでも僕でいられる。
誰にもその存在を知られなくて済む……


《SE・JR山手線ホーム〜車内》


父の死を、僕は新聞で知った。
もう一週間以上前の新聞だった。
引越しのバイトで食器を包む古新聞のひと切れに名前が載っていた。
住所不定とあった。
どういうことなのか。
数年前までは田舎に年賀状が届いていた。東京で元気に働いているとあった。母は知っているのだろうか。

そこまで考えて、僕は思考を止めた。
意味が無い。
僕は母に連絡は取れない。
父の事実を知っても、それが本当であれ間違いであれ、真偽を正す意味が無い。僕は家族から切り離されている。家族との絆はあの時以来絶たれたままだ。これからもそれが再びつながることはない。絶対にない。ただひとつ、心の隅にどうしても残ってしまう澱んだ空気のような、あきらめることで解決することのできない『想い』がある。
妹だ。
今はどうしているのか。
去年、短大卒業と同時に東京に出るの出ないので散々もめたらしい。
それでも結局は出てきていると聞いた。
東京に稼ぎに出たまま帰ってこなくなった父が、最後に贈ってきたヴィトンのバッグを抱え、妹は家を出たらしい。
連絡の取れない身になり、その消息を知ることも許されない僕は、せめて父の悲報が妹の耳には届かないであってほしいと願った。

それしかできない自分の身の上を呪った。


《SE・新宿西口のにぎわい〜甲州街道の車の音》


父の死は変死。
その一言で片付けられていた。
新宿の雑居ビル。
大勢のホームレスが全員、頭部損傷が原因でビルの各階で死んだ。死因も状況も、『謎』としか表現できないらしい。

渋谷から出るのは怖かったが、新宿なら隣町だし、歩いても苦ではない。深夜の遠出は避けたかったので朝から向かった。

問題のビルはすぐに見つかった。
事件の後という事もあるのか正面も裏口も警備が厳重で、それは第三者を寄せつけない明らかなオーラを発していた。
正面から堂々と、被害者の身内の者だと……
そう言えれば良かったのかも知れない。しかし今の僕にそれは言えない。言えば、妹や母にきっと迷惑がかかる。命に関わるかもしれない。それだけは絶対に避けたかった。
それにしても……
なんの手がかりも得られそうに無かった。
警備員だらけの出入口に忍び込めるわけもない。
このビルで父が死んだんです……
ホームレスの父が……
どうしてホームレスになんか……

僕も……同じか……フッ、言えるわけがない。

あきらめようとして、それでもそのビルの周囲をグルグルと歩いてまわり、何回目かに正面玄関前を通ったとき、中から出てきた男と目が合った。


《SE消えて》


男は明らかに警戒の目を僕に向けながらケータイを取り出した。
何だというのだ。
何かやましい事でもあるのか……
そこまでで僕は行動を切り上げ、その場を離れることに決めた。
まずい!
この空気は……この言いようの無い違和感は、あの時の空気と同じだ!
僕が『何か』を見、『何か』を聞いたあの時、あの恐怖に巻き込まれて『僕が僕でなくなったあの時』と同じだ!

走っては気付かれる。
それとなく、解らないように、でも急ぎ足でこの場を離れなければ……


《SE・かすかなハミング》


ちいさく歌が聞えた。
どこからか、か細く、繊細で、悲しげな歌声が聞える。
甲州街道沿い。
駅にも近い。
周囲にカラオケ店は多い。
大型電気店も多い。
ケータイ電話の店も多い。
夕刻だ。
居酒屋関係も店を開け始めた。
全方向から様々な音楽が突き出されてくる。
僕は聴覚をコントロールして気になった歌声の出どころを探った。


《SE消えていて……》


消えていた。
どこか悲しげで、何か懐かしさを感じさせた歌声は、途切れていた。
歌だったのかどうかさえ、今となっては判断がつかない。そんな虫の声ほどの歌声……聞えなくなればなったで、もう一度聞いてみたくなる声だった。
恐怖と興味は紙一重……
聞き耳を立てたままの僕の、耳に触れるような近さで……
大きなブレスが聞えた。


《BGM・戦闘1》同時に《SE・明瞭な歌声》


瞬時に僕は跳んだ。最近はギターケースを抱えたまま跳ぶのにも慣れてきた。
背後に美しい歌声と、人々の絶叫が遠のく。
僕は五階建てのビルの屋上に着地し、ギターケースを背に廻して見下ろした。
僕が跳ぶときの瞬時の踏み込みで割れたコンクリートタイルの周囲に、血飛沫が円を描いて飛び散っていた。
いくつか、頭の無い人間が倒れている。
その傍らに、ひとりたたずむ女がいた。
女は顔面にかかった長い髪を細い腕でかきわけた。
その顔を見た通行人たちが一斉に悲鳴をあげた。
倒れている死体には叫ばない人々が、その女の顔に怯え、逃げ始めていた。
路上で一斉に起きたパニックに、静かに首をかしげた女が、ゆっくりと僕の方を見上げた」


《BGM・SE 共に下げて》





少 女 「お兄ちゃんに似てる。 ねぇ、あのひと、お兄ちゃんに似てるよね? でも、急にドン!って跳んで、あんなとこにいるよ。 お兄ちゃんじゃないのかな?」




《BGM・SE 共に上げて》


青 年 「女、らしきものが……跳んだ。
僕と同じ跳躍力を持っていた。
瞬時に僕の前に着地した女が僕を見る。
何なんだいったい?
顔が無いじゃないかっ!
両目が抜け落ちているのか眼窩は深い穴でしかなく、鼻はかろうじて人間のそれらしきものが残っている。しかし口は……口はもう、人間のものじゃない!
耳の後ろまで大きく裂けた口から血が垂れている。さっき倒れていた死体たちの頭を噛み砕いたのか?
首をかしげている化け物は少しずつ僕に歩み寄ってくる。
化け物のふたつの深い闇の奥に紅い光が浮いた。その途端……大きな口が……笑った!
走ってきた!!

お……お前なんかっ!!

両腕に力を込めた。
腕を、体を、僕は戦闘に合う形に変えた。


《BGM・戦闘2》


そして全力で化け物をはじき飛ばした。

化け物が吹っ飛び、その背が隣のビルの高架水槽に埋まった。
破裂した水槽から大量の水があふれ、屋上から地上へ一気に滝が落ちた。
地上の悲鳴が爆竹のように炸裂したが構っていられなかった。水圧で押し出され、大量の水と共に落ちていった化け物が、一瞬僕の方を見て笑ったのが見えたからだった。

逃げるか。
闘うか。

考える余裕は無かった。
化け物は再び跳び上がってきた。
笑っている。
なぜ笑っている?
それに……なぜ歌っている!


《SE・歌声をプラス》


いきなり口が大きく開いた。
歌声が甲高く、大きく轟いた。
衝撃波に気付いた時には遅かった。
両腕でかばったところで、強烈な力に飛ばされた僕は壁に背を叩き付けてしまった。
ギターケースが壊れた。また買わないといけないな……

化け物が近寄ってきた。
歌っていた。
笑っていた……僕はこれで……最期なのか。

目を閉じてもいないのに母の顔が眼前に浮かんだ。
笑顔だった。
僕を歯医者に連れて行った日の帰り道だ。
泣いて泣いてうるさかった僕が、治療中は黙って耐えていたのを褒めてくれたあの日の帰り道だ。
父の泣き笑いの顔が浮かんだ。
若い頃はアメフトで鍛えたという見事な体格の父が、雨戸を閉めるときに足の小指にぶつけたとかで、跳ねて転んで七転八倒だったあの日だ。
妹の笑顔も……
華奢で長い髪の妹は学校の男子にもてたらしい。
父が東京に稼ぎに出る日の玄関の光景が浮かんだ。
心配そうに見送る母と、泣いて玄関の外まで出て手を振っていた妹。
そして父からの贈り物の届いた日。
紙包みを開くとブランド物の箱だった。
箱を開けて、スピーディだと大喜びしたあの時。
取り出したバッグを見て笑いながら母が言った。
このバッグは型崩れしやすいから底板作って入れておくといいわよ……
喜び過ぎでそんな言葉も聞いていなかったに違いない妹。
父は死んだ。
たぶんコイツに殺された。
しかし残された母はこれからどうする?
妹はいま、どこでどうしてる?

僕は……まだ死ねない!

化け物は僕の頭を両手で抱きしめ、髪をなでていた。
その顔が歪み始めた。
口が大きく開かれ、僕の頭を飲み込もうとする……

僕は全身全霊でエネルギーを放出した。体中から『何か』がほとばしり出た。
僕の全身が『何か』に変化した。


《BGM・ストラトファイターのテーマ》


強力な圧力で化け物が吹っ飛んだ。
僕は……ひしゃげたケースからギターを引き抜いた。
あの日から僕のものになった、真っ赤なストラトキャスター。
僕がネックを握ると同時に命を吹き返す。

防水加工の屋上を滑った化け物が踏ん張ってこちらを見る。
現実離れした瞬発力で飛びかかってくる!!
僕は死ぬわけにいかない!
ストラトの背面を盾に化け物を弾き返す!!
あの時の男の声が響く……」



あの時の男「お前はギタリストだろ。だからお前にはこれが必要なんだよ」



青 年 「そうだ。
僕はギターをやっていた。
食ってはいけなかったがギターは確かに僕の人生の一部だった。
だが、こんなギターは……

また化け物が向かってくる!
口を開けた!
衝撃波だっ!!


《SE・破壊音》


迷う暇を、悩む暇を化け物たちはくれない。
闘う以上、このストラトは武器でしかない!!
覚えたてのコードをかき鳴らす!!
ストラトのボディが歪んで鶴嘴(つるはし)の様に変形する!!
僕は渾身の力を込めてギターを振った!!


《SE・衝突音》《BGMカット》


化け物の脇腹に突き刺さったストラトが稲妻のような火花を散らす!!
さすがの化け物も全身を痙攣させてのたうちまわる。
ギターを抱えると僕の手が化け物の血液で染まった。

赤い。

人間なのか?

真っ赤なストラトは血を浴びても表情を変えない。
僕の心のおののきなんか、このギターはお構いなしだ。

化け物が泣き声を上げた。
それは女の泣き声だった。
でも……

この時の僕には、そうは聴こえなかった。
ただ闘いを終わらせたかったから……
ストラトを変形させ、とどめの一撃をくらわした。


《SE・稲妻音》


あいつの体は空高く舞い上がり、放物線を描いて地上に落ちていった。
僕も追って飛び降りた。

あいつは背から落ちた。
後頭部を強打したのか、そこのコンクリートタイルが蜘蛛の巣状に割れていた。
あいつは動かなかった。

到着したばかりのパトカーから駆け寄る警官たちの前に僕は着地した。
途端に通行人たちの悲鳴が上がる。
警官たちが一斉に銃を僕に向ける。

なぜそうなる?
なぜ……
僕は逃げるしかなかった。
この化け物と僕は姿も形も違うけれど、この世の中では同じなのだ。
化け物なんだ。
化け物なんだ、僕は。
この化け物と同じ……

僕は跳んだ。
跳び続けた。
夕闇に隠れるように。
夜の闇を味方に。
仕方が無かった……
ただひとつ、気になったのは……
あいつが……僕が目をそらした瞬間に姿を消していた事だった……」


《SE消えて……》







《SE・カラオケボックス》


ナレーション「その日、そのカラオケ店はいつものように繁盛していた。

歩いてすぐの路上で何十人という死者が出る惨劇があった……
正体不明なうえ狡猾・残忍な殺人鬼が周囲に潜伏しているかもしれないそんな状況下……
それでも、この街の人々は自身の快楽を優先していた。
日々溜まるストレスは日々発散しなければ生きてゆけない。
現在の人間社会の縮図がここにあった。

つねづねVIPルームを専有していた女性客が部屋に入り、ドリンクを一杯だけ注文してそのまま朝まで出てこなかったとしても、他の客は当然のこと、店のスタッフでさえ気付かないのがこの街の常識といえた。
当然ながら、この店で起きた小さな事件は、前日昼間に近くで起きた化け物事件とは別件として扱われた。

誰の目にもつかず、
誰が知ることもなく、
その女性客は冷たくなっていた。

華奢で、長い髪をきれいに流したその客は、細長い両脚をそろえて延ばし、美しく整った貌を天井へ向けてソファに座っていた。きれいに塗られた唇は心なしか笑っているようだった。

だが泣いていた事は流れた化粧の筋で明らかだった。

女性客はヴィトンのバッグを抱きしめていた。
握りの皮の白が飴色に変色するまで使い込まれたバッグは、底板を入れていて少しも型崩れしていなかった。
そんな断片に過ぎない情報をもとに構成されたテレビのニュースでは、変死したのは几帳面な女性とされた。
勤め先の同僚の証言で、持ち物の中から携帯電話だけが紛失していることが判った。
が、それは事件の解決にはつながらなかった。

そして……

警察は公にしなかったが、遺体は搬送されたのち、司法解剖にかかる寸前、消滅したのだった」









第一話・おわり








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